笛奏者の横田年昭氏の招きで来日したデビッド・ハドソン氏に東京経済大学での演奏前にお話を伺いました。(1994年11月12日)
インタビュー:鈴木エージ・他協会メンバー 通訳:寺地五一先生
2007
日本ディジュリドゥ協会
91年、ABC・TVのドキュメント番組『Proud To Be Aborigine』に司会、ナレーターとして出演。
92年には映画『Jailbirds Run』に俳優として出演。デビッド・ハドソン氏は、単にディジュリドゥの演奏活動だけでなく、壁画製作、ダンス等のワークショップを通して、若い人たちを対象にアボリジニ文化の啓蒙活動を行っている。
あなたの生い立ちや育った環境について教えて下さい?
名前はデビッド・ハドソン。アボリジニの名前ではDWURAといって、BLACK PALM(黒い椰)の意味だよ。ケアンズから20分位の所にあるキュランダにジャプカイのひとりとして生まれた。ジャプカイは我々の言語であり部族です。家族は二人兄弟で妹が一人。僕は結婚していて、娘の名前はジュディスといって19カ月(当時)になる。母親の母親、つまり母方のおばあさんは、白人が入植した時にキュランダの北西にあるメイタウンという所からキュランダに連れてこられて、僕が生まれた当初の7年間位は牧場にある家畜の集配所のような所で育ったんだ。
あまり伝統的な育ち方や環境だったとは言えませんね?
そう、実は僕の母親はキリスト教のミッションで育ったから英語を話すことを強制されて、ジャプカイの言語を話すことはできなかったし、そういう両親の世代から部族の言葉を習う機会のなかった僕の世代にもそれはいえる。でも、ダンスやディジュリドゥは別で、その時に既に、「ワルマ」って言うんだけど、伝統的なダンスを習っていて、その体験が今でも自分の中の伝統の中心になっているよね。両親からダンスやディジュリドゥというアボリジニの伝統的な文化を学ぶことができたことを幸運に思ってるよ。今は街であるケアンズに住んでるけど、そこで伝統文化を学ぶには、その前にまず自分のアイデンティティとは何かということを確認しなければならないからね。
大学の時に伝統文化について学び直したと聞いていますが?
アイデンティティや文化を学ぶには、まだそれらが残っている、生きていることをまず確認する必要があるし、またそれを学び、次の世代に伝えるためには教育が必要だと思うのね。ここ数年の伝統文化の見直しの動きの中で、両親の世代から途絶えてしまった部族の言葉も、僕の従兄弟が言語学者に協力してもらって話言葉から書き言葉に直すことで復活して、この地域では特にだけどここ8年程前からは小学校なんかでも教えられるようになったんだよ。
キュランダの「ジャプカイ・ダンス・シアター」の設立もそうした動きのひとつ?
そう、キュランダにある「ジャプカイ・ダンス・シアター」は僕とドン・フリーマンの友情から87年に生まれたんだ。当時クイーズ・ランド北部にはそうした施設がなかったし、伝統文化を保持し伝えるために作ったんだ。ドン・フリーマンはオーストラリアに永く住んでいる米国人だけど、オフ・ブロードウェイで働いていた経験もあって、彼のそうしたショウ・ビジネスやエンターテイメントの知識と僕たちの伝統文化との接点から、伝統的なダンスや音楽をいわば演劇的に創りあげたものになってる。ショーという形をとっているのは、僕らは古い伝統文化から来ているけれども、でも現代に生きているわけだから、英語もしゃべるし、洞窟に住んで木の実を食べて暮らしているわけではないんだということを知らせる意味で必要なことだと思ってるんだ。
では「ディジュリドゥ」って、あなたやアボリジニの人達にとって何なんでしょうか?
ジャプカイ族の言葉では「Kanbi」って言うんだけど、僕等アボリジニにとって「ディジュリドゥ」は「聖なる楽器」であり、それは「大地の音」だと言える。また、子どもが母親のお腹の中にいる時に吹いて聴かせる胎教音楽とかリラクゼーションのひとつでもあるんだ。もちろん僕も自分の娘にそうしたし、今でも娘が泣いている時とか、ディジュリドゥを聴かせるとおとなしく眠るんだよ。多分これも伝統的な使い方のひとつだと思うね。まあ伝統的には結婚式の時とかいろんな儀式の時、ブッシュでの通信手段に使うけれど、今では楽しみやエンターテイメントとして、他の楽器と一緒に演奏したり、また伝統的なスタイルにはなかったカンガルー・ホッピングやブーメランの音を出したりしてアップ・ビートな音楽を演奏するようになってきている。僕は小さい時からディジュリドゥを吹いてるけど、伝統的なスタイルだけでなく、今風のスタイルも両方やるよ、ギターとかキーボードとかとね。そんな風にいろんなディジュリドゥの演奏があるけど、逆にソロのものがあまりないんだよね。それで『woolunda』では環境音楽やメディテーション音楽的な路線を追求してみたんだ。
あなたは世界中で演奏してるけど、それぞれの地域での反応は?
アメリカには何度も行っているけど、いつも熱狂的に受け入れてくれるし、アメリカ・インディアンも熱狂してくれたよ。またアボリジニの文化をあまり知らないヨーロッパの人たちもそうだったね。バーレーンで演ったこともあるけど、みんな口を開けてびっくりしてたよね。アメリカやヨーロッパの聴衆はすごく熱狂的だけど、日本の聴衆は椅子に座って静かだよね。でもそれは文化の違いだから尊重すべきだし、またそうした反応の違いは、演奏の仕方にもよるものね。横田さんの笛とやったりした場合はすごく静かな感じになるし。日本に来て横田さんの笛といっしょに演奏できたのはとても楽しかったよ。
最後に日本のあなたのファンやディジュリドゥ・ファン、それにJADAにメッセージをお願いします。
日本にディジュリドゥ協会が設立されたと聞いてとても興奮したよ。日本でディジュリドゥが演奏されていることは素晴らしいことだと思う。両方の文化が出会って、お互いのギャップがだんだんと埋まり、文化的な循環が成立するような円環ができたっていう感じがするね。日本に来たのは今回が4度目だけど、僕たちアボリジニの伝統文化と横田さんの笛のような日本の文化と出会えたことはとても素晴らしいことだよね。
デビッドの87年から97年までの録音からイイとこだけをセレクト。スティーブ・ローチのプロデュースによるセレスティアル・ハーモニーからのベスト盤!!