またしても悲惨な出来事が起こってしまった。インドネシアのバリ島で10月1日夜、爆弾テロが再び行われた。3年前にも同じような事件があり、ようやく立ち直ってきたという時に。犠牲になられた方々に深く哀悼の意を表します。合掌。


 それにしても「なぜ、バリ島で?」。僕らが、また多くの人が愛するバリ島。人々は皆信仰に篤く、あんなに穏やかで平和に満ちた場所がなぜテロの標的にならなければいけないのか? オーストラリアや欧米からの観光客を狙ったイスラム過激派の犯行という見方が強いようだが、それならば直接オーストラリアや欧米でやればいいのに‥‥(それに追随する日本もまた同罪か)(日本だけは止めて下さい)。

 「テロ」は非難されてもしかたない行為かもしれないが、テロを引き起こしているのは紛れもなくアメリカをはじめとする行き過ぎた資本主義や理不尽な自由主義による世界支配だ。見方を変えれば「テロ」はそれに対する崇高な「レジスタンス」とも言える。しかし、9.11でテロの標的となったアメリカは自らの行いを全く省みることなく、逆に「テロとの戦い」を合い言葉にアフガン、イラクと紛れもない侵略戦争に突き進んでいる。そして日本もそれに追随し、加担している。まるでアメリカの植民地のように。


 少なくとも、自身の命をかけてまで抗議している人たちの言い分や理由に耳を傾けるべきだと思う。イスラムの教えでは、利子や株式投資など「お金がお金を産む」というのは全くもってあるまじき行為とされ、禁止されている。僕もその意見には賛成だ。パソコン画面に映し出される株価をにらみ、売った買ったと数字を打ち込んで何億円儲かった、なんてどう考えたって間違ってるし、おかしいよ。「お金」や「労働」「仕事」というものの意味をもう一度問い直してみるべきだと思う。プランターでもいいから試しにトマトのひと株でも植えてみるといい。採れたトマトにかぶりつけば、土と太陽の泥臭くも甘酸っぱい味に「生きることのリアリティ」を感じることができるはずだ。



 地球上に残された「最後の楽園」とも言うべきバリ島も血塗られた場所になってしまった。僕らにとっての「楽園」はもはや失われてしまったのだろうか。(え)